A15R15の感想がこんなに長くなるとは・・・

6月28日分。


A15【最終回】「LOVELOVE?」【嵐の中で輝いて】「超変身コス∞プレイヤー」【紅蓮の遺言】【白衣の乙女】
コス撮影終了。けれども、周囲にお膳立てしてもらったままで終わらせることに抵抗を覚えた菜摘と大泉は、コスのために自分たちができることを探そうとする。野外イベントが中止となった芝公園で、レイヤーたちを待っていた小さな女の子。コスを愛してくれている人は、コスをTVで見たいと思っているはず。菜摘が思いついたのは、コス放映を呼びかけようというアイデアだった。「みんなの声をひとつにまとめるのがミコレイヤーだもんね」菜摘はHPで応援イベントへの参加を呼びかける。しかし、当日はどしゃ降りとなり、会場には誰一人いなかった。諦めて泣き崩れる菜摘。俺のためだけでも歌ってくれ、と自分の気持を告白する大泉。そこへ、自分で責任を取るから、と早川に掛け合ってきた美月と弥生が中継車で現れる(ヒットの経緯から考えて、美月が実際に責任を取りきれるとは思えないけど、そこは置いときましょう)。
どしゃ降りの中で歌う菜摘。菜摘のソロに被せて、レイヤーたちの歌声が響く。振り返ると全員が集まっていた。ひとりじゃない、みんながいる・・・という歌詞そのままの光景。それは、画面の中の彼女たちを見守る関係者たちの心にも響くメッセージ。微笑を浮かべる久留米。最初から最後までこの作品のフォローをし続けた久留米が、唯一この一件にだけはノータッチだった(はず)。彼が育てたひよっコたちは、着実に成長しているのです。
次第に晴れていく空。柔らかな陽の光を浴びたレイヤーたちの姿は、神々しいまでに輝いている。大泉の中で、次々とイメージが湧き上がってくる。
「これだ。これだよ」。
大泉が叫んだとたん、私も同じような気持になりました。これだったのかあ・・・


つまり、私がずーっと頭を捻りつづけてきたコスのラストは、こんな風に出来上がったんですね。冒頭の撮影風景から考えると、本来のコス・ラストは、ミコレイヤー以外の全員が倒れた中で、残されたミコレイヤーが懸命に歌っているという、悲劇的なものだったようです。けれども、ひとりぼっちの古都ではなく「みんな一緒に」が戦隊モノであるコスの根底に流れるテーマであり、大泉が無意識に描いていたビジョンであるはず。同時に、この作品に携わった多くの人に向けた、感謝のメッセージかもしれない。古都がミコレイヤーとしてレイヤーたちの心をひとつにまとめた場面は、菜摘の姿がミコレイヤーとシンクロした瞬間の再現だった。それはまた、いつの間にか見失っていたコス∞プレイヤーという作品を、大泉がやっとつかんだ瞬間かもしれない。結局、コスという作品のラストに希望をもたらした菜摘たちの姿は、再開という、現実の希望まで呼び込んでしまった。
視聴者の声により、最終話がDVDではなくTV放映されることになり、放送再開も決まった。ラスト・シーンを撮り終えた晴れやかな顔の菜摘に大泉が近づく→大泉、よろめく→とっさにつかまる場所をさがす→菜摘のベーススーツの胸元をつかむ→体重をかける→全裸の菜摘の出来上がり。
・・・・・・大泉、阿呆すぎて絶対わざととしか思えないんですけど・・・。最後にラブコメ野郎復活とは、なんとも情けない。多分、菜摘は今仕事がどんどん面白くなってる時だから、大泉の恋が前途多難であることは間違いないでしょう。大泉の告白も覚えてないかもなぁ。


そんな風に楽しく終わったLOVE?に続けて、間髪入れず始まるコス。この構成にも拍手を贈りたい。これで3度目なのに、「紅蓮の遺言」というタイトルが浮かび上がった途端、ゾクゾクしてきました。これって、初見の時は、さしたる感慨もなく見ていたはず。内容にしても、今回は思い入れが違うせいで、ひとりひとりのキャラクターが愛しくてたまらない。こうなると、インヨウやクルスが全くLOVE?に関わらなかったのが残念です。
「半年間、応援ありがとうございました」というメッセージを見たとき、初めて3作品すべての物語にピリオドが打たれたような気がしました。


当初コスを見たときは、3作品リンクのことを全く知らず、何これ?と首を捻ったものだったっけ。それが、ヒットでコス内幕モノという構成を知り、最初は単なるラブコメか?と思われたLOVE?が見事に3作品を総括してくれるのを目の当たりにして、今はもう脱帽するしかありません。
実際、今でもコス単体だけでは優れた作品だとは思いません。けれどもこの3本は、独立して見るために作られたものではないですから当たり前ですね。それぞれの作品が相互に補い合っている内容を知るごとに、再視聴時の印象が変わってくる。そして、そんな風に受け手側の気持が変わると、次の視聴でさらに、作品の与える印象も違ってくる。無限ループにひっかかった気分です。いえ、本当に面白かった。見続けてきて、本当によかった。


そう言えば、昔は夕方になると必ず古いアニメの再放送があって、以前見た作品でも、自分自身の成長とともに、まったく違った印象を受けることがありました。今現在はビデオ、DVDの普及で再放送はほとんどなくなり、わざわざDVDを購入したりレンタルしない大半の人々にとって、アニメ作品というものは、一度きりの視聴で忘れさられるものとなっているような気がします。こんな風に繰り返し見せることで印象が変わっていく作品は、そんな使い捨ての消費形態に対するアンチテーゼなのかもしれない。製作者がそこまで意図していたのかは分かりませんが、ふとそんなことを考えてしまいました。